ミニマリストが語る|ミニマリストの末路は「悲惨?」それとも「幸せ?」

ayako

みなさまこんにちは、ゆるミニマリストのayako(@ayako_lifestyle)です!

ミニマリストと検索すると【ミニマリスト 末路】【ミニマリスト 悲惨】というワードを発見しました。

きっとみなさま「ミニマリスト」になること対して漠然とした不安を抱いていたり、単純になんとなく嫌悪感があったりする方が多いんだな〜と。

私も初めはミニマリストに対して懐疑的でしたし、みなさまの不安や疑いの気持ちはわかります。

なので今はミニマリストを名乗っていますが、頭ごなしに「ミニマリストになったら幸せになれるよ!」なんて言うつもりはありません

ただ私自信、ミニマリストになってみて「悲惨な末路」は今のところ想像できません

本記事は結果的にミニマリストの末路は幸せなのかも、という内容にはなりますができるだけ客観的に、冷静に考えてみました。

この記事がみなさまの「ミニマリスト」に対する漠然とした不安や誤解を少しでも和らげるものになっていれば幸いです。

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ミニマリストの末路は「悲惨?」それとも「幸せ?」

みなさまはなぜ、スマホを手に取って、パソコンを開いて【ミニマリスト 末路】【ミニマリスト 悲惨】と検索していますか?

  • 興味はあるけど実際に周りからどう思われるのかな…?
  • ミニマルな生活にリスクや制約はあるのか知りたい
  • 考え方に疑いを持っていてどんな末路か見てみたい
  • 嫌悪感を持っていて悲惨な末路を見てやりたい など…

十人十色、検索してくださった “思い” があると思います。

確かにメディア映えするような尖っていておもしろいミニマリストさんの活躍で、「ミニマリスト=変わっている人」や「ミニマリスト=違う世界の人」というイメージが強くなってしまっているかもしれませんね。

ですがほんの一部を知っているだけで「ミニマリストは〇〇」と大きな括りで決めつけて、選択肢を狭めてしまう前に考えていただきたいのです。

この記事に辿り着いてくださった方に共通している思いは「幸せになりたい」とか「今の自分が幸せだと信じたい」というところではないのでしょうか。

さて、ミニマリストは幸せへの一歩なのか、悲惨への一途を辿るものなのか。

まずは「ミニマリストの末路」について主に心配されていることを見ていきましょう。

ミニマリストの末路で心配されること

ミニマリストの末路で心配されていることは下記の4つが多いです。

  • 精神的に病んでしまうのではないか
  • 部屋に物が無さすぎて不便ではないか
  • 「変な人」だと思われないか
  • 食生活の偏りで体調を崩さないか

それでは「ミニマリストの悲惨な末路」をひとつずつ見て、考えていきましょう。

精神的に病んでしまうのではないか

ミニマリスト=人との関わりが薄く、何もない部屋でうずくまっているイメージ

これが「精神的に病んでいるのか?」という誤解をしてしまう原因かもしれません。

確かに人間関係を極端に断捨離したり、物を捨てることに依存してしまうと、何もない部屋で独り、塞ぎ込んでしまう…という危険性もありますね。

でもそれは何か心に問題を抱えていたり、「周りから自分はどう見えているんだろう」という客観的視点の不足であって「ミニマリズム」が原因というわけではないのではないでしょうか。

どんな自分になりたいのか」「自分は周りからどう見えているのか」この2点が重要なんじゃないかなと、私は思っています。

部屋に物が無さすぎて不便ではないか

物を捨てることが目的になってしまうと、便利さや快適さが後回しになってしまう可能性があります。

ただ心地良いと感じる「利便性」や「快適さ」は人それぞれ異なります。

例えば布団を手放して寝袋で寝ていても快適だと思う人もいれば、信じられない!と感じる人もいる。

洗濯機を手放してコインランドリーを利用することを不便だと感じない人もいれば、手間だと感じる人もいる。

大切なのは「ミニマリストならこれは捨てる」ではなく自分にとってこれは必要」という考え方ではないでしょうか。

「変な人」だと思われないか

ミニマリストが変な人扱いされる原因に「ミニマリズム布教活動」があると思っています。

私も元汚部屋でミニマリストになったという経験から、「ミニマリストっていいぞ〜」と周りにおすすめしたくなる気持ちはめちゃくちゃわかります。

ただ自分が正しいと思っていることを、相手も同じように正しいと思ってくれるわけではありません。

良かれと思って言ったことが相手を不快にさせていないか、怖がらせてはいないか。

自分が発した熱で相手を、そして自分を火傷させてしまわないように…

ミニマリズムを取り入れた暮らしを発信している私も、冷静さを忘れないよう言葉選びには人一倍気を遣っています。

食生活の偏りで体調を崩さないか

最後は、食生活の偏りで不健康になってしまうのではないかという心配。

「料理をする」という行為を極力省くために、プロテインやサプリメントで栄養を摂ったり、外食をしている方など…

もちろん全員が全員ではありませんが、確かにメディアに出られているミニマリストさんは偏食だったり痩せている方が多い印象がありますよね。

「ちゃんと食べてる?」「栄養偏ってない?」「不健康に見える」などと心配になる気持ちも十分理解できます。

ですがこの心配はミニマリストに限った話ではありません

食生活については色んな情報があってどれを信じたら良いのか正直わからないですよね。

そこで私は料理研究家・土井善晴さんの著書『一汁一菜でよいという提案』を参考にしています。

料理は嫌いではありませんが、毎食違う献立で必要な栄養素も考えて…なんて一般人の私には到底マネできるようなことではありません

だから白ごはんを炊いて、豚汁を作る。これだけは一生懸命やろうと心がけています。

「食生活を整えたら痩せた」というお話はこちらの記事で。

実際にミニマリストになって想像できる “末路” は明るい!

私はずっとミニマリストとは真逆のマキシマリストでした。

物心ついた時から片付けが苦手だった記憶があるので、20年以上は汚部屋暮らしをしていたことになります。

そんな私がミニマリストになった経緯はミニマリストとは?|元汚部屋女性が手に入れたミニマルな暮らしと考え方という記事で説明しています。

だから物を捨てられない「もったいない精神」もめちゃくちゃわかる反面、ミニマリストになった後の「新しい人生のスタート感」はやっぱりすごいなと感じているわけです。

結論、私はミニマリストになってから想像できる未来が格段と明るくなりました。

それではあくまで想像でしかありませんが、私がどんな未来にワクワクしているのかを最後に紹介してからこの記事を終わりたいと思います。

どんどん洗練されていく部屋や自分

私はなぜかずっと「オシャレになりたい」という思いが強かった。

だから手当たり次第にかわいい雑貨を買い集めたし、流行を取り入れて服やコスメをたくさん集める…

振り返るとものすごく “オシャレ” に対して執着していたな、と。

そうやって執着して集めた物たちを捨ててミニマリストになった今。

真っ白なキャンバスを汚さないように、強調させたいものをひとつだけ加える

そんなシンプルで特別なことをしていない感じが心地良くて良いかも、と肩の力が抜けました

まだまだセンスの勉強中ではありますが、「絶対に良くなっていく」という兆しが確かに見えています。

ちなみにセンスについては『センスは知識からはじまる』という本がとても勉強になりました。

ミニマリストブログで生計を立てる

ブログの運営自体は約3年前からやっていますが、紆余曲折あり、このミニマリストのライフスタイルを運営するようになったのは2022年の7月くらいから。

ブログを始めた3年前から「ブログで食ってくぞ!」という意識は夫婦で持っていましたが、思うようにいかず

私よりも前からミニマリストだった旦那さんのライフスタイルブログとともに、私もミニマリストブログに転向しようと決めてからブログで稼ぐことの確度がグッと高まりました

『旦那さんのブログReolog.』ほどではありませんが、私のブログも少しずつ認知されるようになり、ありがたいことに収益も少しずつ発生しています。

夫婦で同じことを頑張ったり将来について話し合う時間は、どんな娯楽よりもワクワクする時間です。

生活スキルの向上

元々ものづくりが大好きな私、ミニマリストになってから新しい創作の趣味ができました。

それは「お菓子づくり」と「パンづくり」。

数年前までは「丁寧な暮らしなんて〜笑」と自分ができないことをやっている方たちを嘲笑していた私。

できない私を正当化しようと人を傷つけていたことを今では反省しています。

黙々とお菓子やパンをつくる時間、もっと美味しいものをつくりたいと思う向上心。

別に売りたいとか考えているわけではなく、ただ旦那さんが「美味しい!」と笑顔で食べてくれることが嬉しくて。

そんな趣味が生活のスキルを上げてくれたし、これからも上がっていくんだろうな〜とワクワクします。

穏やかでいつでも機嫌が良い大人

昔に比べて少しずつ、物だけでなくあらゆることに執着しないようになってきました。

誰かと競争したり、自分が正しいと思うこと・相手が間違いだと指摘すること、特別になりたいと思うこと、など…

もちろんまだまだできないことも多いです。

思い通りにいかなかったら不機嫌になってしまったり、怒られたら過度に落ち込んだり、イラッとして尖った言葉を発したり。

でもミニマリストになるまではもーっと酷かった。

物にも、考え方にも、相手にも、自分にも執着しない。

これを「意識する・しない」では大きく未来が変わってくる気がしています。

ちなみに普通でいる勇気は『嫌われる勇気』から、あらゆる執着を手放すことは『[禅的]持たない生き方』から、穏やかな考え方は『自分に語りかける時も敬語で』から学びました。

まとめ

以上が「ミニマリストの末路」についてのお話でした。

ただ単に「ミニマリストになれば幸せになれる」ということではありません。

たぶん、きっと、それでは幸せにはなれません。

「理想の自分に近づくために、幸せになるために勇気を出す」ということが大切だと考えています。

そのひとつの選択肢にミニマリストがあってもいいかも?というお話です。

ラクして幸せになれるほど人生甘くありません。

「あーでもない、こーでもない」と懸命に生きて、死ぬ直前に「私、頑張ったな」と思えることが幸せなのではないかな、と。

みなさまの人生がより快適に、明るい “末路” になることを願っています。

ayako

最後までご覧いただき、ありがとうございます。

それでは他の記事でまたお会いしましょう!またね!

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